「君に笑ったり怒ったりしてもらいたいんじゃない。肝心なのは、笑ったり怒ったりしているのが、他人じゃなくて君だということなんだ。」
安部公房の『箱男』は、ミステリー小説なのか恋愛小説なのかSF小説なのか政治・思想小説なのか社会・経済小説なのか、正直分からない部分が多いです。純文学・古典文学によくある(一概にするのは良くないことですが)ような、上手く言葉にできないメッセージを込めた小説であると感じています。『砂の女』もそうでしたが、安部公房が描くものに容易にわかるようなメッセージではないような気がします。『箱男』であれば、「見る側・見られる側」を筆頭に、「自分という箱」「世界という箱」「書くという行為」「帰属」「恋愛・偏愛」など複数のメッセージが込められています。一度読んだだけではすべてを掬うことはできず、何度読んでも常に、この小説の”意図”がわからないものです。2024年8月に映画化されました。ほとんど、原作に忠実に描かれていると思います。実写化することが多くの意見・論争を呼ぶことは頻繁にありますが、少なくとも『箱男』に限っては、映画を観てから本を手に取った方がよいかもしれません。
ここでは、『箱男』を恋愛小説として捉えたいと思います。綴られる恋愛の登場人物は、<箱男>と<葉子(ヤブ医者付きの看護師)>です。小説全体の中で、この二人が描く”愛”や”男女”のシーンが決して多いわけではありません。しかし、どこか印象に残る場面・一文が多く、冒頭の「君に~。」はその一つです。よく、「”好き”とは」みたいなことを尋ねられる場面があります。「酔ったときに連絡したくなるか」「他の人の彼氏・彼女になったら嫌だと思うか否か」「不可欠な存在か否か」「信頼できるか否か」「会う前に新しい服を買いたいと思う」「髪を切ったときに見せたくなる」など色々回答が思い浮かびます。「友達と恋人」「家族と恋人」それぞれの違いなんてものも多く話題に上がってきます。それらの一つの答えとして、『箱男』では、「君に笑ったり怒ったりしてもらいたいんじゃない。肝心なのは、笑ったり怒ったりしているのが、他人じゃなくて君だということなんだ。」と思うことを回答として明示しているような気がします。この一文は、<箱男>が彼女と贋箱男との交渉を壊し、彼女への”殺し文句”として忘れないように”ノート”に綴ったものです。しかし、その背景には<書いている僕(箱男)>と<書かれている僕(箱男)>の不機嫌な関係が存在しています。それが何か、明確に述べることはとても難しいのですが、何かわからない感覚的な不思議な関係が存在しています。『箱男』で描かれる”恋愛”は、普通の恋愛小説で描かれるものとは大きく異なります。箱の中から女性を見ることに興奮を覚えたり、世の中や社会との境界といった意味も持つ箱を脱ぐ・服を脱ぐという行為への強い意味の付与、など普遍的なものではありません。ただ、そこに描かれる恋愛・男女の人間関係は、本質的なものを指し、またそれを、他の関係へ拡大解釈できるものであります。
綴られる文章は、どれも読解に時間を要するものばかりです。純文学といわれるものによくある、自分に落とし込むのに時間がかかる小説です。一文で、「少し昔に書かれた本だな」と分かる小説です。しかし、読み進めてみると、どこか不思議と最近の一般的な恋愛小説や青春小説で綴られるようなシーン・台詞が存在します。それらに魅了され、あなたも”箱”を被ってみても良いのではないでしょうか。あ、いや、すでに今、この世の全ての人間は”透明な箱”に身を隠しているのかもしれません。