「もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい。」
そこらの恋愛映画や恋愛小説は、様々な色の生活に着色・脱色していく過程を描いているようなものです。愛する・愛されることのみに着目し、その色使いに多くの人が共感・批判を行うことで、一つの恋愛及び愛・恋と形取られていく感覚です。類にもれず、この作品も同様です。何にでもなれる大学生と、既婚の大学教員との恋愛。傍からみたら、先生が学生を使って危険な火遊びをしているようにしか見えません。大学生はいわば真っ白です。大学デビューという言葉が存在することや高校生まで続けてきた部活・趣味を辞める人が多いように、人生の中で大きな転換点、色付けをする時期・期間です。それが趣味であるか、スポーツであるか、音楽であるか、ボランティアであるかは人それぞれですが、少なくともこれまでの生活とは一線を画した日々が続くはずです。この主人公にとって、大学で学んでいる絵画では色がつけられなかったようで、教師という年上への募る想いやその日々が絵の具だったようです。“恋をすると人生がバラ色に!”とか“日々に彩りが!”とか言われますが、それは大学生でなくても同様で、この主人公は「いつ何時でもでも色をつけれる行為を大学生という貴重な一瞬に使ってしまった」と“ムダ”として捉えることもできます。ただただ毎日セックスをして先生への想いを募らせるその描写が、物凄く無駄なように大人は感じてしまうのではないでしょうか。ネットにある読書感想文的なもので散見される批判的意見は、そのような感情から得られるものではないかと思います。確かに、書かれている内容はとても官能的かつ写実的・思想的で、女性筆者が思い描く理想の男性像のように描かれている節もあります。しかし、若者としての自分からしたら、納得のいく描写・思考も多くあります。「今と昔はちがう!」と声を立てる誰かのようなことはしないですが、この類の小説は「あーこういう意見もあるのだな」「今はそうなのか」と咀嚼することがいいのだと思います。あも、友人が言っていました。「大人になるにつれて、何か好きなこと・熱中することができなくなった。聞かれて答えるのは、全て小中高時代に好きになったものばかり。これは思春期を脱したからなのか、単に執着がなくなったのか」と。個人的には前者に賛成です。少しずつ歳をとると次第に何かに興味・関心が薄くなっていきます。昔は好きだったものが、今では、なんてよくある話です。でも、こと恋愛は、その中身や形は変われど『恋愛』というタイトルをつけることは、幾つになってもできうるような気がします。もう立派な“大人”になるのだから、納得がいかない物事でもちゃんと咀嚼して、好きだからじゃない恋愛したいですね。
さて、タイトルが凄い!と思った本はあるでしょうか。朝井リョウ『正欲』、伊坂幸太郎『鴨とアヒルのコインロッカー』、宮部みゆき『模倣犯』、村上春樹『1Q84』、夕木春央『方舟』など沢山ありますが、この本、山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』もそれらに並びそうです。ちなみに、圧倒的No.1は、住野よるの『君の膵臓をたべたい』です。