
「思い出じゃなくて、日常です。」
毎週のように父親に連れられた水族館に動物園。公園の知らないお兄さんが格好良くて始めた野球。一目惚れした人が好きだった音楽。気が付けばいつも手元にあったお菓子。
忘れていたあの思い出が、自分自身でも気づかぬうちに今の私を構成している。思い出が気づけば、今の日常を作っている。そんな、当たり前のことを思い出させてくれました。新海誠が綴る言葉も、描くうまくいかない恋愛も、くすんだ大人時代も、土台にはリアリティがあります。その影のあるリアリティが、一見、まぶしすぎる小さな恋の物語に、大人を夢中にさせるのだと思います(解説より)。
さて、他の人からよく、「コンサバティブな人間だね。」と言われます。自分でも思います。プレイリストの音楽は全部似たようなジャンル、これまで好きになった人はみんな似たような雰囲気、他人が思う想像通りの自分です。でも、その後に友人が必ず言うのは、「でも、誰よりも、軸がしっかりしている。」。今の自分を構成しているのは、ぜんぶかつての思い出です。水族館で買ってもらったペンギンのぬいぐるみはいまもベッドの隅に座っていて、18時からの野球中継が始まるとテレビから離れなくて、ずっと真夜中でいいのにやヨルシカは毎日のように聞いて、芋けんぴを求めて大学に進んで、今の自分の全て全てが、あの思い出を糧として日常と化し、今を作っている。忘れたようとしていたあの恋愛も、信じられないくらい怒られた失敗も、悪い思い出も全部、糧として日常になっている。ずっといつも近くにあったことも、大切にしまっていた綺麗な出来事も、その思い出が気づかぬうちに日常になっているのだと、そう、思わせてくれました。そんな作品です。
この度、実写映画が公開されています。学生は1,500円で映画が観れるんです。多くの人から好評であったアニメーション。それを基にしたノベライズ版。その後、と銘打たれた実写映画の期待と疑念は確かなものでしょう。実写映画を観てから、アニメーションを見、本を読みました。どれをも、同じものとして捉えることは少し難しいような気がします。アニメは、有無を言わせず素晴らしいです。これまで多くの方たちが述べられてきたような感想の通りです。ここの場で再度折り立てる必要はないでしょう。ノベライズ版は、アニメをきれいになぞらえているような印象です。アニメーションをひとつの題とするなら、ノベライズ版は『秒速5センチメートル』というものを解釈したようなものです。さて、実写映画は、きっと”再定義”でしょう。アニメや小説のように、話で別れていないことも要因でしょうが、鑑賞者に対して何か、今の私では表すことのできない『秒速5センチメートル』の本質というものをを再定義させようとしているような気がします。
桜が降るころには、社会人になる私にとって、あまりに思い出になってしまいそうです。
仕事をやっぱり今から変えてしまおうかな、とでも思っています。
なんてね。