毒親。
親ガチャ失敗。
ネットスラング? ネットミーム? なのでしょうか。最近よく目にする言葉です。
凄まじい字面だな、と思いつつ、些細な不満から本格的な家庭環境の機能不全までもがひと口で表せてしまう便利な言葉だなとも思いました。
家庭環境に問題を抱えた子ども達を支援する時は細やかなヒアリングに加えて臨機応変かつ的確な判断と行動が重要になってきますが、当事者の抱えている問題の全容を掴むことはほとんど不可能だと私は思っています。
さて今回の物語に登場してくる6人の高校生はかつて家庭の問題を児童福祉司である真鶴茜によって助けられています。
7年前に事故死した恩人。
そのはずなのに、彼女の名前で「私を殺した犯人を暴け」とメッセージが廃屋に閉じ込められた6人の目の前に……。
心の傷ってどうしたら癒えるのでしょうか。
人は何処まで行けば救われるのでしょうか。
見えないものに対峙する時、高確率で苦悩に苛まれるのにそういう問題は基本的に答えがないからいつの間にか考えることを止めてしまいがちです。
子どもの声の届きにくさ……。
気丈に振る舞うことの難しさ……。
理解されないな、と諦観したまま大人になって、その息苦しさを知っているのに私達はいつから「助けて欲しい」という声を聴かなくなるのでしょうか?
大人になる過程でどうしようもないと放り出してしまったのでしょうか……。
真鶴茜の死を中心に浮き彫りになっていく彼らの痛みを目の当たりにして、そんな自分の無力さにズタボロにされてしまいました。
聖人君子にはなれずとも、真鶴茜ように真っ直ぐと誰かのために動ける人間になりたいです……。