『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』
近頃、自分の一挙手一投足が嫌になることがあります。誰かに対して何気なく発してしまった言葉で、相手が嫌な気持ちになってしまっのではないか。人から見た自分の動きに、“キモい”と思われてしまったのではないか。LINE上で発した冗談混じりのことばを、相手は同じように受け取っていないのではないか。そんな風に過去の自分の言動を客観的に振り返って、自分に対し嫌悪感を抱くことがよくある。だから、最近出来た友達やなんとなくで一緒にいる人、先輩・後輩、などなど比較的浅い関係の人に対して、話す時や動く時に怖気ついてしまうことがある。口籠もり、行動の停止をしてしまう。極限までに高まった自制心・理性が、自分の行動全てを抑制してしまっているような感覚がある。「他人の評価なんて、」と言う人もいるが、私はそれを極度に気にする。
でも、
『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』と思えばいいのです。
先日、大学に遅くまで残り作業を頑張っていた後輩に、「無理しないでね。幹部が全てを決めてもいいかもしれないけど、もう少しみんなの自主性・主体性に任せてもいいんじゃない」と、投げやりのように言ってしまいました。私としては、本当に無理だけはしてほしくなくて、力を抜いて欲しい、気楽にやって欲しいという想いで言ったつもりです。でも、その後輩からしたら、「なんもわかっていない先輩だな」とか「そんな雑にしちゃダメでしょ」とか「おかしくない?!?!」なんて思っているのかもしれない。帰り道、そんな風に思ってしまい嫌悪感に押しつぶされてしまいました。
でも、
『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』と思うべきです。
誰よりも人の顔色を伺うタイプです。誰よりもその場の雰囲気を感じ取るタイプです。誰よりもその言葉の裏を考えてしまうタイプです。昔から怒られない為に嫌われない為に行動していた慣習が、今となっては自分を構成する要素として自然と成り立ち、言わば性格として浸透しています。もう少し子供の頃は、それを“大人っぽい”と言われていました。ただ、少しだけ大人の仲間入りを果たした今は、“無機質な人間”・“つまらない人間”・“人間味のない人間”と思われています。思われていそうです。みんな、みんなそんな顔をします。そんなことないと思う反面、でも、他人からしたらそう映るんだと納得してしまう自分もいます。“他人”や“後輩”からはきっとそう思われています。
でも、
『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』と思ったほうが良いのです。
悲観的な人間・自己肯定感の低い人間が一番可哀想なんて思いません。楽観的・天然な人間が人生をうまく生きてるなんて、思いません。ただ、色んな人に気を遣って、人の体調を第一に気にして、誕生日の時には必ずメッセージを送ってくれる、そんな“優しい”が詰まった人間になりたいと思います。悲観的でも楽観的でも自己なんとかが低いとか高いとかポジティブとかネガティブとか、そんなことじゃなくて、ただただ何処までも優しい人になりたいです。