わたしの美しい庭/凪良ゆう
森の図書室

わたしの美しい庭/凪良ゆう

2025.04.24

もやもやを抱えたまま生きるって、とっても大事なことだと思うんです。
両親を亡くした百音、親代わりで住職の統理、ゲイで移動式Bar店主の路有、登場人物それぞれが複雑なバックグラウンドと自分の過去についてさえも知りえないもやもやを抱えています。
でも、それを誰かが咎めることも追及することもなく、ちょうどよい距離感と安心・安全の関係性が構築されているようです。統理にとって百音は、元カノの娘です。統理としては、大好きだった愛していた人の娘ですから、間接的に元カノに対する執着を抱えています。しかし、百音にとっては生まれたころから傍にいて、ずっとずっと愛してくれている統理は最早”父親”です。両親がなくなっていしまっている今、どこかのありきたりなドラマのようにその存在を強く求め、会えもしない人に執着するようなことはないでしょう。そのため、統理にとっては元カノに対する執着と共に百音や本当の両親、その親族に対する罪悪感まで抱え込んでいることが節々で感じられます。はて、路有はというと、物語の中では非常にアクセントとして強い印象を残しています。玉こんにゃくの唐辛子や牛タンのネギとかそのくらい。ずっと付き合ってきた彼氏に父親の病気と平凡な生活のために振られ、そしてその彼氏はすぐに結婚・出産を迎えます。ゲイからしたら、正体のわからない世間体や一般論に負け、仮面結婚に図ることはよくあることです(らしいです)。おそらく思春期の頃から受けてきた辱めが自分でつかんだ安定と共に崩れ浮かび上がってくるような、そんな感情でしょう。そして極め付きは、「今までありがとう。ごめん。ずっと愛してる。」との置手紙。恋愛において付き合わないおよび別れたい相手をバッサリと振らないことには、憎悪に近しい感情を覚えます。好きな人に想いを伝えることができたときには、結果に関係なく比較的後悔や思い残しは少ないです。発散すべき人に正確にきちんと想いを届けられたこと自体が成果であり、どこか荷が軽くなったような心持ちになるでしょう。しかし、好きだといえなかった人、曖昧なまま別れてしまった人、お互いが好きなままで別れてしまった人、突然いなくなってしまった人、そんな人たちに対しては、ずっとずっと頭の中に残り続けてしまうのです。好きなままで終わってしまったら、時間がたっても忘れられない存在として在り続けてしまうでしょう。それはもう、単純な上書きや不安定な関係性では解消することのないしがらみとして構築されてしまうのです。

さて、春は「別れの季節」「出会いの季節」といいます。
例年思うことですが、卒業してしまう先輩。引っ越してしまう上司。留学に行く同級生。みんないなくなる時は、悲しいし寂しいけど、日が経ち忙しさが戻るにつれて、常に出てくる感情ではなくなってしまいます。でも、引き出しに手を突っ込んでも思い出します。もやもやもちゃんとそこにしまって、抱えて過ごします。

もう、桜の季節になります。

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