
「いつも二番目。私を一番に想ってくれる人は誰もいない。」
わかっている。
自分と同じくらいの想いを相手も抱くことは決してないことを。でも、みんな自分と同じくらいの熱量を相手にも求めてしまう。それはものすごく自分勝手なことではあるとわかっているはずなのに、どうしてか同じように求めてしまう。だからずっと、私は二番目で、いつまでたっても一番になることはできない。
そう私はみんなには在る”恋人”という存在が欠けていて、解決すべき存在とされる。私も、みんなと同じように誰かと一緒にいたい。
あまりにも月がきれいな夜には、月がきれいだと誰かに伝えたい。でも、誰かにとっての私は、単なるちっぽけな存在で、きっとその誰かは、こんなにもきれいな月を見ても、決して私に伝えたいとは思わないんだろう。
-月がきれいな夜に、思い出してくれる誰かが欲しかった。
でも、それでも私は、確かに恋人はいないかもしれないけど、ひとりぼっちじゃなかった。
ちゃんと居場所があったし、話を聞いてくれる友人も、守ってくれる大人もたくさんいた。そして、それを私自身がなんとかして守ろうと奮闘してきた。自分の想いや感情、そした守りたい人たちのそれもすべて一緒に、思い出を料理に変えて。みんなで消化する。
「雨宿り」は誰かにとっても、主人公の桃子にとっても、ひとりではないことを自覚させてくれる大切な場所です。
さて、春は「別れの季節」「出会いの季節」といいます。これまで見送る側だったのに、いつしか送られる季節になってしまいました。私事ですが、桜が見事にまで咲く時には社会人として働いています。本当はもっと沢山、紹介したい本や語りたい本がありましたが、本書が最後なようです。2年と10ヶ月、いつも読書感想文とは思えない思想や個人的な感情の露呈にお付き合いいただきありがとうございます。「森の図書室」は僕にとって、本書「雨宿り」のような場所だったと思います。本書を最後に紹介したかった意味はそこにあります。これからもずっと、誰かの雨宿りになるような場所であり続けることを願っています。
そして、例年思うことですが、友人や先輩が居なくなる時は、悲しいし寂しいけれど、きっと桜が散るくらいの頃には、常に出てくる感情ではなくなるでしょう。だから時々、記憶のその引き出しに手を突っ込んで、思い出します。そして、月がきれいな夜には思い出して欲しいです。