酷く冷静だったことを覚えています。
最初は小さな揺れで、クラスメイトのみんなも他愛のない会話の隙間に「地震だー」と滑り込ませるくらいでした。
しかし、その直後立っていられない大きな揺れに襲われて教室中が一瞬でパニックに陥ります。
私は当時、各クラスに置いてあった数冊の本が並べられている小さめの本棚『学級文庫』の整理をちょうど終えて、帰宅の準備をしているところでした。
地震を正確に認識する前に教室には悲鳴とも怒号ともつかない大きな声が響き渡ります。
さっきまで笑っていた女の子が泣き叫び、男の子は「やべぇ」と口の端を歪にして笑いながらも必死に机の脚を掴んで小さくなり、先生は必死にみんなへと安全を呼びかけていました。
誰よりもパニックになっていた女の子が「もうやだ。死ぬ、みんな死んじゃうんだ!」と叫びながら机から這い出ている姿が見えて、私は咄嗟に彼女の許へ行き机の下に押し戻していたような気がします。
まだ揺れも治らぬ中、私たちの真横でテレビが倒れ落ちてきた時に初めてこれはまずいかもしれないと思いました。
ところで、テレビが落ちたのは私がいた場所で、ある意味で彼女が机から這い出て外に逃げようとしてくれなければ直撃していたことでしょう。
……ありがとう。あなたのおかげで五体満足です。
まるでフィクションのようなお話です。
実際、私自身にもこの記憶が何処まで正確なのか分かりません。
とても幸運なことに私は震災で死別を経験しませんでした。
住んでいた地域の被害も海岸沿いと比べれば可愛いもので、比較的復旧のステップに移行するまで時間はかからなかったように思います。
ですので、大切な友人を亡くした真奈の気持ちは私では到底図りきれません。
すみれに襲いかかったであろう黒い波の恐怖も想像し得ません。
何かを失くしてしまう時。
それはいつだって予告がないものです。
脈絡なく放られた喪失に私達はどうやって向き合えばいいのでしょうか。
続いていく時間と続かなかった時間の狭間で折れてしまった足はまた地面を踏み締めることが出来るのか。
私にはまだ分かりません。
いつか、答えが出る日が来るといいなと思います。
そうしたらその時にもう一度真奈とすみれに会いに行かねばと思うのです。