生誕の災厄/E.Mシオラン/出口裕弘
森の図書室

生誕の災厄/E.Mシオラン/出口裕弘

2022.12.12

反出生主義という言葉を聞いて、シオランの名前が浮かばないなんてことはないと思います。

晩年、精神的苦悩の中で見通した彼の思考の一端。
その言葉が切り貼りされた本です。

『生まれ出ることによって、私たちは死ぬことで失うのと同じだけにものを失った。
すなわち一切を。』

別の本では生まれてこなければ良かったと嘆いていたりもする彼ですが、そもそもその考えこそがシオランの人生にプラスの出来事があったことを証明しているのでは? と思います。

正と負の起伏が嫌だ、なんて悲観出来るのはとても素晴らしいことです。
一瞬でも希望を垣間見ることは恵まれていたからです。
だって、そうではありませんか。
マイナスしかなかったのだとしたら、プラスとマイナスの間にゼロがあるなんて知るはずもないのですから。

もしかして、そんな自分自身さえも皮肉っていたりしますか……?
だとしたら、山籠りした仙人さえも泣かせる達観ぶりです。
それか諦観しきれないための高度な自傷でしょう。

こんなこと言ったら何処かからか石を投げられそうでとても怖いですが、道の片隅の雑草だと思って流してください。

反出生的な思考の原因はつまり温もりを感じたこと、目の当たりにしたこと(それが当人に向いていたかは別にして)があるのにも関わらず、それを忘れたままでいることではないかと思うのです。

残念ながら、別にあなたは幸せを知らないわけではないのです。
ただ、都合が悪かったのでしょう。
環境や他人、そして自分自身が。

ゴミのように打ち捨てられて、それでも世界は美しいと信じ切るのはあまりにも難しかった。
実は綺麗な部分があるとするよりも、ここはゴミ溜めだったと断言した方が幾分か心は軽くなります。
型にはまらなかったのは環境や他人に対して自分が見合うほどの能力がなかったのではなく、そも生まれてきたことが問題だと。
始まりそのものにケチをつけた方が問題はとても簡単になります。

戦い疲れた成れの果て。

ボロボロになった身体なんて重いだけですから、何もなかった頃に戻りたいと願うのは当然のことでしょう。

でも、そうなのだとしても、現在に対して望むべくもないと膝を折ってしまったその姿をとても可哀想だと思ってしまいます。

無に還れるまで少しでもそんな誰かがこれ以上傷付かなければいいな、と願うばかりです。

※あなたは特定の個人を指しません。
※その姿は特定の個人を指しません。
※幸せの定義には個人差があります。
※不幸の定義には個人差があります。
※生きづらさには答えがありません。

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