「待つ」ことを“痛恨の想い”と表現する一文に惹かれました。 たしかに“待つ”ってやきもきするし、本当に相手を信じてないとじっとしていられないし、物相手でも、ここまで待ってもなににもならないかも…と思うとせっかちになってしまうかも。。 でも意のままにならないものに慣れてその時間を楽しく過ごせる人のほうが待ったあとの未来が明るくなるような気がします。